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母の日がくると、私が15歳の時に亡くなった母に贈った造花のカーネーションを思い出す。 安っぽいカサカサの紅いカーネーション一輪、あれが最後のプレゼントとになるとは思わなかった。 優しかった大阪の義母にも何もしてあげられなかったように思う。親はなくなってからありがたみが解るというもの。 親子というのは親も選べないが、子も選べない。神様からさずかった縁を受け入れるだけである。 我が家は、犬猫も縁があって拾ってきたものだし、車も、人にもらったり、車屋さんに走れそうなものを見つけてもらったものばかりで、初めから選択権はない。 先日、我が家と同レベルの友人が、フレンチブルドックの可愛い雑種(これも保護されたもの)をどうしても引き取りたくて、「たまには、自分が気に入った犬も飼ってみたいとよ!」と、旦那を押し切って飼うことにした。(ここも拾ってくるものだから、犬2匹、猫5匹) あのブサ可愛さは、私も思わず「欲しい!」と思ったが、これ以上増えてはと思いとどまった。 考えてみれば、唯一選択権が許されていたのは亭主だが、自分で選んだから正解かどうかは・・。 貧乏はしかたがないが、人生そこそこに幸せで、周りの人に恵まれているのは、やっぱり運がいいのかもしれない。
by houseigama
| 2012-05-13 18:51
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